食中毒や感染症検査における日常検査は、グラム染色、コロニーの形状、オキシダーゼ試験やカタラーゼ試験等の生化学性状試験、さらには同定キット、血清学的検査等を基に行われている。従来の微生物同定の手順(塗抹検鏡→分離培養→純培養→同定)は、その殆どが手作業で実施されて来た。同定に関しては、一般細菌や酵母様真菌に対して、利用出来る生化学的手法による自動機器が開発され、自動化されている。更に最近では、MALDI-TOF
MS(Matrix-Assisted Laser Desorption Ionization-Time of Flight Mass Spectrometry)による微生物同定法が開発され、我が国でも医療機器として認可された専用機器による方法が保険適用となったのを契機に、多くの医療施設(約100施設、平成27年12月現在)で導入されている。
微生物を同定する手法は大きく分けて、以下の5つに分けられる。
(1) 形態観察
(2) 表現形質(生化学性状等)
(3) 化学分類指標(細胞壁組成・キノン分子種等)
(4) タンパク質分析(全菌体タンパク質組成等)
(5) DNA分析(G+C mol%、DNA相同性試験、塩基配列比較等)
これらの分類手法は、表現型(Phenotype)と遺伝子型(Genotype)による方法とも言い換えることができる。
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MALDIバイオタイパー(ブルカー・ダルトニクス) |
AXIMA微生物同定システム(島津製作所) |
【質量分析による細菌同定方法の基本原理】
質量分析法による細菌同定の装置・システムとして2種類が販売されている。1つはブルカー・ダルトニクス社(ドイツ)の「MALDI Biotyper」である。もう1つは島津製作所の「AXIMA微生物同定システム」であり、本システムはシスメックス・ビオメリュー社から「VITEK
MS」としても販売されている。微生物の同定にMALDI-TOF MSタイプの質量分析計が利用される理由として次の3つがあげられる。(1)少ない菌量(約105
個)で前処理が簡便である、(2)精製されたタンパクでなくてもイオン化の効率がそれほど低下しない、(3)1価のイオン生成が主体であるためスペクトルの解析が容易である。いろいろな菌種の多様な菌株をデータベースに登録しておき、未知の菌株のマススペクトルがどの菌種のパターンと一致しているかをデータベースの中から瞬時に探す、いわゆる、「マススペクトルのパターンマッチング」である。病原体に由来したタンパク質成分の分子情報(マススペクトルデータ)パターンから、わずか10分足らずで分離菌株の同定が可能であり、熟練の技術を要しない。
質量分析の流れ(島津製作所HPより改編)
【質量分析の活用とその後の展望】
MALDI-TOF MSを用いる質量分析は、一般細菌、嫌気性細菌、抗酸菌、酵母様真菌や糸状菌といった同定も一つのシステムで実施できることが大きな利点である。薬剤耐性菌の鑑別にも、β-ラクタム系やカルバペネム系抗菌剤を含む培養液で2〜4時間培養した後に、これらの薬剤が加水分解されると、マススペクトルパターンが変化することを利用して、β-ラクタマーゼ産生あるいはカルバペネマーゼ産生菌株であるかを判定できる。同様に、NDM-1、VIM-1、OXA-48、OXA-162型カルバペネマーゼ耐性菌の検出も報告されている。
【費用対効果】
MALDI-TOF MSによる同定コストは、一般的細菌検査工程よりも格段に低く、かつ迅速性に優れている。佐賀大学医学部付属病院での従来機器を用いた同定費用と、ブルカー社のMALDI
バイオタイパーを用いた同定費用対効果を参考までに示す。
佐賀大学医学部付属病院における同定費用の比較
年度 |
2005 |
2006 |
2007 |
2008 |
2009 |
2010 |
同定実施件数 |
6,562 |
7,092 |
7,356 |
7,459 |
7,476 |
7,629 |
従来機器使用時の経費(円) |
8,530,600 |
9,219,600 |
9,562,800 |
9,696,700 |
9,718,800 |
9,917,700 |
MALDI Biotyper使用時の経費(円) |
984,300 |
1,063,800 |
1,103,400 |
1,118,850 |
1,121,400 |
1,144,350 |
従来機器との差額(円) |
-7,546,300 |
-8,155,800 |
-8,459,400 |
-8,557,850 |
-8,597,400 |
-8,773,350 |
経費算出方法:自動機器の経費;同定し約1200円、消耗品100円の合計1300円/検体
質量分析の経費;マトリックスおよびその他試薬代を含め、合計150円/検体
注)この表は、ブルカー・ダルトニクス株式会社HPより再掲したものであること、ならびに表題を変えていることをお断りしておく。
元資料は下記のアドレスを参照すること。
http://www.bruker.co.jp/daltonics/imgs/pdf/Saga-Univ.Hospital_Yodogawa-Christ.Hospital7.pdf
【参考文献】
・渡邉正治、曽川一幸、野村文夫:生物試料分析、35、16、2012. ・東山智宣、中西豊文、田窪孝行:Micotoxins、63、209-216、2013.
・Fenselau C、Demirev PA:Characterization of intact microorganisms by MALDI
mass spectrometry, Mass Spectrom Rev 20:157-171, 2001.
・寺本華奈江, 佐藤浩昭:質量分析法によるバクテリアの迅速同定・分類法の進歩、J. Mass Spectrom Soc. Jpn. 56:83-90,
2008.
・Karas M. Hillenkamp F:Laser desorption ionization of proteins with molecular
masses exceeding 10,000 daltons, Anal Chem 60:2299-2301, 1988.
・Pineda FJ. Antoine MD. Demirev PA et al:Microorganism identification by
matrixassisted laser/desorption ionization mass spectrometry and model-derived
ribosomal protein biomarkers. Anal Chem 75: 3817-3822, 2003.
・松山由美子, 韮澤崇:MALDI Biotyper による感染症原因菌の迅速同定法、BIO Clinica 26: 51-55, 2011.
・谷明生:MALDI-TOF/MS を利用した新しい菌株同定技術とその応用、化学と生物 48:598-601,2010.
・寺本華奈江, 佐藤浩昭:質量分析法によるバクテリアの分子系統分類法の開発. 化学と生物 46:819-821,2008.
・Saleeb PG, Drake SK, Murray PR et al. Identification of mycobacteria in
solid culture media by matrix-assisted laser desorption ionization-time
of flight mass spectrometry. J. Clin Microbiol. 49:1790-1794, 2011.
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©2013 Fukuoka Institute of Health and Environmental Sciences. |
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